●ようこ森茉莉ライブラリーへ

書店に出かけても、図書館に出かけても、書棚に並ぶ膨大な本を前にすると、
どれを読もうか、どれを買おうかと、いつだって迷ってしまいます。
そして、迷いながらあっという間に時がたってしまいます。
ときめく気持ちが時計の針を早く廻してしまうのでしょうか。

一冊の本や著者との出会いは、単なる偶然などではなく、
まるで赤い糸でつながっているような、
遠い過去から出会うことが決まっていたことのような、
そんな感じさえします。
たくさんの本の中で偶然抜き取った一冊の本は、偶然などではなく、
実はその本に呼び寄せられて、
出会うべくして出会ったといえるのかもしれません。

どんな出会いにせよ、出会って好きになって、
もう恋焦がれる位に好きになってしまうものもあります。
私にとっては森茉莉のエッセイがそうでした。
小学校の国語の教科書にのっていた「父の帽子」に出会って以来、
ずっと心の中でその一文や「森茉莉」という名前をあたためて来たのです。
しかし、あまりに好きになりすぎると、
かえって自分との距離が拡がって行くのです。
好きになればなるほど、遠い人になって行くのです。
恋焦がれながらも、森茉莉という人は、夜空の星のように遠い人でした。

古書店で一冊、また一冊・・・と、出会いを奇跡のように喜びながら集めていた
森茉莉の作品が全集となって筑摩書房から出版されたときは、
その贅の香気に酔いしれながら文字を追ったものでした。
桁はずれの贅の香気、言葉の宝石、心の中にある愉しさ、幸福感・・・・
そんな森茉莉の作品を一冊ずつ、ご紹介して行きます。

●貧乏サヴァラン

貧乏サヴァラン

贅沢と貧乏など対極にあるものを結んだ世界を描かせたら森茉莉の右に出る人はいないんじゃないかな、と思うのだが、この『貧乏サヴァラン』も、貧乏と美食の名文家・ブリア・サヴァランの名前を合体させた名文(!)「貧乏サヴァラン」を収録した食に関するエッセイ集。表紙の桃の缶詰のラベルからして何ともおいしそうである。
森茉莉の作品に描かれた食べ物の中でいちばん好きなものは何かと問われたら、しばらくためらったあとで、やっぱり卵料理と答えると思う。オムレット・オ・フィーヌゼルブやウフ・ジュレ、茶碗蒸しや厚焼き卵、パイ皿で焼くふわふわの卵焼きなど、森茉莉の描く卵料理を文字で味わっているとうっとりとなり、そのうちひょろひょろ立ち上がり、エッセイに紹介されたレシピでいろいろな卵料理を作ってみたくなる。
フライパンにバタァを溶かし、片手にとった卵を割り入れ、固まりかけたところを箸で掻きまぜて・・・そして、楽しい黄色に焼き上がったオムレツを口に運ぶ瞬間の幸福な気持ち。食べるということは、生きる喜びとどこか深いところでつながっていることを、森茉莉はおいしく教えてくれる。
秘密の食べ物と同じく、森茉莉の世界は特別。惜しげもなくふるまわれている蜜の言葉をちょっとずつ味わい、舌に乗せてうっとりしていると、おいしさと幸福が伝染してくるような素敵な気分になる。(ちくま文庫)

●私の美の世界

私の美の世界

「料理と私」「卵料理」「タオルの話」「お菓子の話」「夢を買う話」「香水の話」等、森茉莉の美意識が綴られている。何度このエッセイを読み、何度ため息をついたことだろう。それまで日常生活のごくありふれたことでしかなかった「料理をつくる」ということも、このエッセイを読むと不思議かつロマンティックな出来事のように思えてくる。
俎の上でパセリを刻んだあとが薄緑色に染まっているのが楽しいと、森茉莉以外の誰が思っただろう。ゆで卵をつくるというただそれだけのことを、「銀色の鍋の中に、透明な湯が泡をたてて渦巻いていて、その中に真白な卵が浮き沈みしている」と歌を歌うような楽しさで思うことが、森茉莉以外の誰にできただろう。私は舌の上にのせたチョコレートを味わうように、「私の美の世界」をゆっくりゆっくり味わい、森茉莉の美意識を細胞の中に染み込ませたものだ。
このエッセイとの出会いの歓びをあえて何かにたとえるとするならば、自分の好みの香水や口紅と出会った歓びとでもいえばいいだろうか。
ただし、このエッセイに限らず他の作品でもそうだと思うが、森茉莉の作品は、香水や口紅と同じくそれを素晴らしいと思える感性があって初めて宝となり得る類のものである。
もし、あなたがまだ森茉莉との出会いを経験していないのであれば、このエッセイを入門書としておすすめしたい。(新潮文庫)