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ミモザには種がいっぱいついています。
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綿毛のようなティートゥリーの花
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ドクダミの十字架に見守られながら育つトマト
数年前、小さなポットに入ったティートゥリーの苗を庭の畑に植えました。
今は背丈が一メートル以上になって、毎年梅雨の季節に綿のような白い花をつけます。一面緑が敷きつめられた中、その花が白いほのかなあかりのように咲いていて、眺めていると、ふんわり優しい気持ちに。
今日は午後遅くから雨がポツポツと降り出して、庭も、こちらの心もしっとり。さっきまで庭を飛び回っていた蜂や蝶々は姿を消して、植物たちは静かに雨を受けています。
しばし仕事を中断して、庭に出てみました。葉っぱや草花を手に受けて、その細部をよーく見てみると、美しいものや不思議なものがいっぱい。特別なところに行かなくても、高柳佐知子さんの本で見たことのある妖精の国の地図が庭には広がっていて、まるで宝探しのよう。
W・デ・ラ・メアの『妖精詩集』の詩のいくつかを思い出し、その詩を反芻しながら過ごした庭時間の中で、この世界は目に見えるものだけで出来ているのではないということを実感しました。


  「あれは魔法の笑いごえじゃないのかい?
   遠く 高い空を 馬で駆けわたる妖精たちが、
   月の枝えだの下をぬけ、
    星をちりばめた空を気ままに遠のりしているんだろ?」
     『妖精詩集』W・デ・ラ・メア 荒俣宏訳 ちくま文庫「つのぶえ」より
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フェンネルをレースの傘にして咲くラヴェンダー
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ラヴェンダーの花期もそろそろ終わり
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ツタンカーメンのエンドウマメ
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ドクダミは人を助ける十字架のかたち
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林檎がもう色づいている!
春が終わると、あっという間に季節が移ってゆきます。
仕事に追われ、しばらく庭に心が向くことなく日々を過ごすうちに、気がつけばすみれや都忘れの花の季節は終わり、庭一面が緑に埋め尽くされています。その緑の中でも、いちばん元気がいいのはフェンネル。 庭の土と相性がいいのか、こぼれ種でどんどん増え、あちこちで海藻のようにゆらゆらしています。
「ふわふわした羽のような葉、打ち上げ花火のような薄黄色の華、ほろ苦い中に甘みを秘めた香気」、熊井明子さんはフェンネルについてこんな風に書いていらっしゃいましたが、フェンネルがあると、そこは「異国情緒の漂う野」となり、「葉陰から今にも妖精が姿を現わしそうな」魔法に満ちた庭に生まれ変わります。
自由奔放に、のびのびと植物が育っている(母に言わせれば全く手入れが行き届いていない)庭は、今がいちばん輝いているように思えます。原っぱのような草一杯の風景の一角にはラヴェンダーの紫色の花が風にそよぎ、ドクダミの白い十字のような花が咲き、見上げると、ミモザの木には種を入れたサヤがクリスマス飾りのようにぶら下がり──。草も、木も、花も、ハーブも、野菜もごちゃごちゃに育っている庭ですが、その間を蜂や蝶々が飛んでいます。その様子を眺めながら、『シンプルな豊かさ 1月▸6月』(サラ・バン・ブラナック 延原泰子訳 早川書房)の中にあったバーネットの言葉を、種のようにそこに蒔いてみました。

「庭があるとき、あなたには未来があり、未来があれば、それは生きていることだ」
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ティートゥリー